店長の和田昌弘です
皆様、こんにちは、自然食品店.com 店長の和田昌弘と申します。
当サイトをご利用いただき誠にありがとうございます。
ネットショップを始めるまで人参がこんなに美味しいとは知りませんでした。
どちらかというと人参嫌いの方でしたね。しか〜し、ある日の1杯の人参ジュースから認識が変わりました。
美味しい人参との出会いは確かネットショップをオープンしたての2005年の冬、
地元宮崎県綾町の早川農苑でした。農苑長の早川さんからだされたジュース、これは飲めるはずがないと思いましたが、
もちろん断れず飲んでみると・・・・すごい甘さにビックリ!思わず砂糖が入っているのですか?と聞いてしまいました。
早川さん曰く、「生きた土で、農薬や化学肥料をつかわず作られた人参は甘いんです。」
特に地元綾町の人参は最高に美味しいと、ボクは思います。!
それでは、自己紹介をさせていただきます。
●昭和38年7月6日、宮崎県生まれ
●蟹座 O型
●宮崎県、綾小、中学校卒業
小学校3年生のとき、町に剣道クラブができて、みんなが入部するのでボクも入部。
その後すぐにサッカークラブができ、友達はみんな剣道を辞め、サッカークラブへ。
球技好きのボクとしてもサッカークラブへ・・・とはいかず
(やめさせてもらえなかったのです。)剣道を続けました。
中学校に入学すると、音楽に興味を持ち、バンドを組んで演奏をやっていました。
文化祭では中学校の歴史上初、ステージでビートルズの曲を演奏(上手いかどうかは別にして)、
それまでの文化祭に大きな変化をもたらしたんですよ!その翌年から、生徒達が自主的にステージで出し物を披露し始めたのです。
●宮崎日本大学付属高校卒業
高校受験では志望校の受験に失敗、 宮崎日本大学付属高校へ入学。あとで考えると失敗してよかったと思えます。
高校では前代未聞のすごいことをやりました。
2年生で文系志望のクラスにはいったのですが、3年生になると理系のクラスへの変更希望。 先生には逆のパターンはできても、その希望は受け入れられないと言われましたが、頼み込んで実現。 ここから、さらに理系のクラスにいながら、中間試験や、期末試験では、机をもって、文系のクラスに行き、試験を受けさせてもらいました。 何か、いい加減なことをやっているようですが、自分なりに考えた行動でした。 当時、文系と理系の生徒を比較した場合、 理系の生徒たちのほうがはるかに成績が良く、理系にいたほうが学力が伸びると判断し、勉強は理系で。 しかし、希望としては、文系の大学に進みたかったので、試験だけ文系のクラスで受けたのです。 今考えるとよくもこんな我がままが通ったものです。
●日本大学芸術学部放送学科卒業
大学受験は1本勝負、日芸放送学科のみの受験。1次試験に合格し、2次試験のため上京、試験会場で運動靴を履いていたのはただ一人。
みんな革靴を履いていたのが印象的でした。
試験は論文と面接、論文など書いたことがなく、
前夜に書店で「論文の書きかた」という本を購入。
しかし、読む気にもなれず、とりあえず例文を1つ読んおいたら、同じ問題が出題され、超ラッキー!
大学では、初めての一人暮らし、都会での生活、人との出会い、テレビ局でのアルバイト、一つ一つが貴重な体験でした。
そして決めたのです。日本では就職はしない。
●大学卒業後職探しに渡豪、後にMOYES GLIDERS社に入社
1986年大学卒業後、ワーキングホリデービザを取得、オーストラリアへ出発。このとき出会った、
ビル・モイス氏とそのファミリーに感動、この人のためなら一生働いてもいいと思いました。
ビル・モイス氏はハンググライダーを作る会社の社長さん。業界では知らない人はいないほど世界でも有名な人です。
人間が空を飛ぶという夢にチャレンジし続ける素晴らしい人です。そのまま、彼の会社に就職し、
帰国する1998年まで貴重な体験をたくさんさせてもらいました。もちろんボクも空を飛べるんですよ。
1992年でしたか、スイスのアルプスを飛びました。高度3500メートルまで上昇し、眼下に氷河を見たときは超感動でした。
またこの間、ニュージーランドに行ったとき、今のWife(伸子)に出会い結婚。1995年には長男が誕生し、現在子供4人の6人家族です。
●1998年帰国、家業の食料品店を継ぐ
1998年決断の時が来ました、両親は我々の帰国を望み、我々はオーストラリアに永住したい。
結局、自分の正直な気持ちが言い出せずに帰国することになりました。
家業の食料品店を継ぎ、2005年2月ネットショップ自然食品店.comをオープン。
最初は食品全般を販売していましたが、人参の購入者が多いことや、人参の美味しさに感動したこともあり、
2008年5月より、人参販売店として再出発しました。
どうぞ、皆様よろしくお願いします。


